
2011年11月20日
タイムスリップ
先日アンテナ島にアンテナの点検に行った際、今は倉庫として使われている旧送信棟という建物に入りました。
その中には古い送信機が保管されています。
これは私と同じ年の昭和40年製。同じ装置が2台あります。

これは、1957年製。
私の想像では、宗谷に積んで2次隊で持ちこもうとしたが、接岸できず、3次隊で再び持ってきたものかなあと、遠い昔に思いを馳せています。


その中には古い送信機が保管されています。
これは私と同じ年の昭和40年製。同じ装置が2台あります。

これは、1957年製。
私の想像では、宗谷に積んで2次隊で持ちこもうとしたが、接岸できず、3次隊で再び持ってきたものかなあと、遠い昔に思いを馳せています。


Posted by T.Kondo at 04:17│Comments(9)
この記事へのコメント
近藤さん
たかしまです。
お元気に活躍の様子が目に浮かんできます。
1957年製の送信機はさすがに貫禄の趣ですね、
補修部品の真空管・部品等も使われないまま倉庫に
眠っているんでしょうね。
ある意味、お宝の蔵ですね。ではまた。
たかしまです。
お元気に活躍の様子が目に浮かんできます。
1957年製の送信機はさすがに貫禄の趣ですね、
補修部品の真空管・部品等も使われないまま倉庫に
眠っているんでしょうね。
ある意味、お宝の蔵ですね。ではまた。
Posted by たかしま at 2011年11月20日 21:02
タンスみたいな送信機はすごいですね。
(船舶にもタンスみたいなKw級の送信機が載っていたと聞いています)
南極では電源はどのように確保しているのでしょうか。
送信機だけでなくその他もイロイロかかるから、かなりの電力が必要と想像されます。送電に使う電線もかなり太くて大変じゃないでしょうか。
(船舶にもタンスみたいなKw級の送信機が載っていたと聞いています)
南極では電源はどのように確保しているのでしょうか。
送信機だけでなくその他もイロイロかかるから、かなりの電力が必要と想像されます。送電に使う電線もかなり太くて大変じゃないでしょうか。
Posted by JN1EYA at 2011年11月21日 08:39
そういえば私自身も昭和40年製です(ちょっとビックリ)。
Posted by JN1EYA at 2011年11月21日 12:19
周波数の単位がMCだ・・・
あの旧送信機棟の中はこんなだったんですね。
アンテナ島・・・今年こそチャンスがあれば行ってみたいですね~。
あの旧送信機棟の中はこんなだったんですね。
アンテナ島・・・今年こそチャンスがあれば行ってみたいですね~。
Posted by タイガー at 2011年11月21日 15:20
たかしまさん
ご無沙汰です。
残念ながら、球類は外されているようです。
値打ちのあるものなら、国内で展示してもらえるかもしれません。
JN1EYAさん
こんにちは
同級生なんですね。
ham人口は、我々が学生時代にピークだったように記憶しています。
カムバックする人がこれから増えればいいですね。
電源は1次隊からディーゼル発電機を使っていたと思います。
今は太陽光や風発等自然エネルギーも利用しています。
送信棟へは、今は400Vで引っ張り、トランスで200や100を作っています。
ご無沙汰です。
残念ながら、球類は外されているようです。
値打ちのあるものなら、国内で展示してもらえるかもしれません。
JN1EYAさん
こんにちは
同級生なんですね。
ham人口は、我々が学生時代にピークだったように記憶しています。
カムバックする人がこれから増えればいいですね。
電源は1次隊からディーゼル発電機を使っていたと思います。
今は太陽光や風発等自然エネルギーも利用しています。
送信棟へは、今は400Vで引っ張り、トランスで200や100を作っています。
Posted by T.Kondo
at 2011年11月21日 18:12

近藤さん こんにちは
これらは、悪く言えば粗大ごみ?、ごみの処理はどうされているんですか、それと 糞尿の処理はどうするんですか?
これらは、悪く言えば粗大ごみ?、ごみの処理はどうされているんですか、それと 糞尿の処理はどうするんですか?
Posted by 土井 JO3GZH at 2011年11月21日 18:39
タイガーさん
ぜひアンテナ島へ来てください。
C社の保守パーツもあります。
JO3GZHさん
廃棄物は基本的にすべて持ち帰ります。たしか20種類以上に分別されてたはずです。
糞尿は、水分は沈殿槽、微生物やフィルターなどで高度に浄化、きれいな水にして放出しています。
固形物は燃やして、かすを国内に持ち帰り処理しています。
ぜひアンテナ島へ来てください。
C社の保守パーツもあります。
JO3GZHさん
廃棄物は基本的にすべて持ち帰ります。たしか20種類以上に分別されてたはずです。
糞尿は、水分は沈殿槽、微生物やフィルターなどで高度に浄化、きれいな水にして放出しています。
固形物は燃やして、かすを国内に持ち帰り処理しています。
Posted by T.Kondo
at 2011年11月21日 23:37

旧送信棟・・・・ 懐かしい写真ありがとうございます。
17次隊当時、この建物はアマチュア無線局のシャックとして使っていました。
石油ストーブがあった気がしますが、コード類はカチカチ・・・
潤滑油が温まるまでダイヤルも硬く、冬場は震えながらの運用でした。
曲がったビニールコードを 無理に伸ばすと折れてしまいます。
以外と 真っすぐなコードは曲げても折れません。
ちょっとした細工も コードを温めてやったのですが、夏場に見るとなんとも下手くそな配線です。
当初計画では、16次隊が新送信棟を建設し、17次隊で送信機を移設することになっていました。
行ってみると、雪があるほうが 移動が楽だろうとの理由から16次隊が頑張って、すべて終わらせてくれていました。
確かに夏期間の移設では、岩だらけの場所を無傷で移動するのは大変だと思います。
16次隊に感謝です。
オングル島からアンテナ島への通信ケーブルを張り替える計画もありました。
ヘリで運べる2トン程度のケーブルを持って行きました。
海氷上の吊り橋にケーブルを掛ける 結構大掛かりな工事ですが、幸いまだまだ使えるだろうと判断、結局 予備として橋のそばに置いておくことになりました。
その後 掛け替えた話を聞いていないので、衛星通信に移行するまで使えたのでしょうね。
新送信棟の送信機は全て同軸管になり、7〜8センチの銅の管でした。
この銅管の切断は 手間がかかります。
以前の送信機は全て平衡フィーダーなので、おっぱい碍子と呼んでいた 壁を貫通する端子までの配線も楽でしたが・・・
新送信棟には 非常食とラジウス、鍋、寝袋が置いてありました。
誰でも、送信棟でのラーメン食は嫌・・・
美味しいコックさんの ご飯が食べたいものです。
ちょっとブリ気味のとき、無理して帰ったことがあります。
吊り橋の下は、道に迷わないようにロープを張ってあったのですが、ところどころ倒れ凍りついていました。
滑って倒れてしまったのです。
まったく周りが見えず、方角が分からなくなりました。
その瞬間、冬山訓練で聞いた吉田先生の話を思い出しました。
遭難した福島さんと一緒に 犬の餌をやりに行った方です。
ずいぶん長い時間に感じたのですが、たぶん数十秒・・・
じっと目を凝らしていると、ちらっと明かりが見えたのです。
大袈裟ですが 助かった〜 気分、やたら動かないのが一番ですね。
何食わぬ顔で おいしい夕食にありつきました。
近藤さんは 大ベテラン、こんなことは無いでしょうが お気をつけ下さい。
また 色々思い出し 書かせていただきました。
17次隊当時、この建物はアマチュア無線局のシャックとして使っていました。
石油ストーブがあった気がしますが、コード類はカチカチ・・・
潤滑油が温まるまでダイヤルも硬く、冬場は震えながらの運用でした。
曲がったビニールコードを 無理に伸ばすと折れてしまいます。
以外と 真っすぐなコードは曲げても折れません。
ちょっとした細工も コードを温めてやったのですが、夏場に見るとなんとも下手くそな配線です。
当初計画では、16次隊が新送信棟を建設し、17次隊で送信機を移設することになっていました。
行ってみると、雪があるほうが 移動が楽だろうとの理由から16次隊が頑張って、すべて終わらせてくれていました。
確かに夏期間の移設では、岩だらけの場所を無傷で移動するのは大変だと思います。
16次隊に感謝です。
オングル島からアンテナ島への通信ケーブルを張り替える計画もありました。
ヘリで運べる2トン程度のケーブルを持って行きました。
海氷上の吊り橋にケーブルを掛ける 結構大掛かりな工事ですが、幸いまだまだ使えるだろうと判断、結局 予備として橋のそばに置いておくことになりました。
その後 掛け替えた話を聞いていないので、衛星通信に移行するまで使えたのでしょうね。
新送信棟の送信機は全て同軸管になり、7〜8センチの銅の管でした。
この銅管の切断は 手間がかかります。
以前の送信機は全て平衡フィーダーなので、おっぱい碍子と呼んでいた 壁を貫通する端子までの配線も楽でしたが・・・
新送信棟には 非常食とラジウス、鍋、寝袋が置いてありました。
誰でも、送信棟でのラーメン食は嫌・・・
美味しいコックさんの ご飯が食べたいものです。
ちょっとブリ気味のとき、無理して帰ったことがあります。
吊り橋の下は、道に迷わないようにロープを張ってあったのですが、ところどころ倒れ凍りついていました。
滑って倒れてしまったのです。
まったく周りが見えず、方角が分からなくなりました。
その瞬間、冬山訓練で聞いた吉田先生の話を思い出しました。
遭難した福島さんと一緒に 犬の餌をやりに行った方です。
ずいぶん長い時間に感じたのですが、たぶん数十秒・・・
じっと目を凝らしていると、ちらっと明かりが見えたのです。
大袈裟ですが 助かった〜 気分、やたら動かないのが一番ですね。
何食わぬ顔で おいしい夕食にありつきました。
近藤さんは 大ベテラン、こんなことは無いでしょうが お気をつけ下さい。
また 色々思い出し 書かせていただきました。
Posted by jinsyo at 2011年11月22日 05:17
Jinsyoさん
コメントありがとうございました。
先ほど3泊の野外オペから帰ってまいりました。
さて、旧送信等でアマチュア無線をされてたという話は、何度か聞いたことがあります。
41次では旧食堂棟で、運用していました。羽毛服を着て分厚い手袋で運用していたころと比べると、今は倉庫の片隅とはいえ、管理棟の中で温度はマイナスになることはなく、いい環境です。
アンテナ島に行くのも今は緊急時を除き、事前に申請して隊長などの許可を受けた上で月1回程度しか行くことはできません。
41次、49次と比べても安全管理は厳しくなっています。
とはいえ、外の環境は昔から変わっていないので、気をつけなければいけませんね。
コメントありがとうございました。
先ほど3泊の野外オペから帰ってまいりました。
さて、旧送信等でアマチュア無線をされてたという話は、何度か聞いたことがあります。
41次では旧食堂棟で、運用していました。羽毛服を着て分厚い手袋で運用していたころと比べると、今は倉庫の片隅とはいえ、管理棟の中で温度はマイナスになることはなく、いい環境です。
アンテナ島に行くのも今は緊急時を除き、事前に申請して隊長などの許可を受けた上で月1回程度しか行くことはできません。
41次、49次と比べても安全管理は厳しくなっています。
とはいえ、外の環境は昔から変わっていないので、気をつけなければいけませんね。
Posted by T.kondo at 2011年11月26日 03:00